いよいよ「令和」の時代がやってきましたね。
「令和」という元号が発表された際、色々気になることはありませんでしたか?
文字の由来は?
その文字の書き方珍しいな、などなど。
今日は、書道を長年かじり続けている私が浅い知識を掘り起こし、書道的視点からざっくり雑に「令和」について語っておこうと思います。
何と言っても記念すべきビッグイベントですから(^^)
令和の「令」の字の書き方、気になりませんでしたか?
「令和」発表のあの筆文字。
「令」の字の書き方、気になりませんでしたか?
「相方に「マ」じゃなくて「縦線」で書くもんなの? 」
と聞かれたのです。
書道をやっていると違和感なく受け入れられるのですが、
そういえば普通手書きでは「マ」って書きますよね。
学校でもそう習ってきたはず。
実は・・・、
(引用元:H31年4月3日朝日新聞より)
いずれも正しい!
「令和」の筆文字、九成宮醴泉銘っぽい
先日師匠と「令和」の揮毫についてお話しをし、師匠も私も「九成宮っぽい」と感じておりました。
いや~、ホント立派な字ですね。
九成宮醴泉銘とは
九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)とは、欧陽詢(557-641)が書いた「楷法の極則」、つまり楷書の超スタンダードで最高の基礎で最高の美。
大人が書道を習うと、他の芸術と同じく古典を学びます。
古典を必死で真似して書くのですが、これを臨書と言います。
で、九成宮とは、
楷書を勉強するなら、まずこれだよね!ってヤツ。

書道をする方なら誰でも臨書した事があるであろう九成宮。
その中に「令」と「和」の字があります。
やっぱ縦線で「令」の字の最後の一画は縦線で書かれてますね。


何となく「令和の書」と字の雰囲気が似ていませんか?
すごいぞ欧陽詢!九成宮のざっくり説明
九成宮の文字の特徴をざっくり説明すると、
- 縦長:文字の偏か旁かがそびえ立っているため、正方形に書かれているのに縦長に見える。
- 背勢:縦線がきゅっと内側に反ってます。狭く窮屈になりがちですが、スペースを広くとったり点画をくっつけないなど、広く見える工夫がされています
- 手足が長い:九成宮の字はきゅきゅっと余裕がゆとりが少ないので、長い画を強調。
- 右への広がり:左払いは短く鋭く、右払いは長く重めに書いて空間を作って風通しを良くしています。
まあとにかく、めちゃんこ美文字なのでございます。
茂住修身さん「令和」の書は超絶美文字!
「令和」の書ですが、
筆の入りはどっしりとしていて九成ぽくはないのですが、字体の雰囲気は九成の特徴が表れています。
そしてあの書から感じた事は、

●「令和」の書、すんごい美文字
●単に達筆なだけではなく計算しつくして書かれている
そりゃそうなんです。
あの書を書いた方と言われる茂住修身さんは、「平成」の書を揮毫した河東純一さんの大東文化大学の後輩にあたる方で、元総理府(現・内閣府)に辞令専門官。
国民栄誉賞の賞状や内閣総理大臣表彰の揮毫なども担当されています。
茂住修身さんは九成宮など唐の時代の楷書の造詣が深い方。
その知識による書風を生かしつつ、計算しつくして二文字を揮毫するという、非常にハイレベルな技に基づいて書かれたのが、この「令和」の書なのです!!
万葉集「梅花の歌」序文~令和の元ネタ
令和の元ネタ万葉集「梅花の歌」序文


中国から梅が持ち込まれとても珍しかった奈良時代、宴を開き「落ちる梅」をテーマに短歌を詠みましょう!と、大宰府にある大伴旅人宅に山上憶良ら歌人32人が集められました。
その32首の梅の歌の序文「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」という文章にもとづいて、新元号「令和」は制定されました。
現代語訳をすると、『あたかも初春のよき月、澄んだ空気は心地よく、風は穏やかです。梅はおしろいのように白く咲き誇り、藤袴の若葉が伸びて、緑が薫るようです。』という意味だそうです。
(令月→よい月 風和→風穏やか)
せっかくだから書いてみたよ(*^^*)


梅花の歌が影響を受けていると思われる中国の古典
新元号の発表後、岩波文庫編集部のTwitterでは万葉集の梅花の歌の元ネタが色々つぶやかれておりました。
万葉集の元ネタと言われている中国の古典
張衡の漢詩「帰田賦」(AD78-139)(文選に収められている)
「於是仲春令月 時和気清」
(是に於いて 仲春の令月 時は和し気は清む)
王羲之「蘭亭序」(AD353)
「天朗氣清、惠風和暢」
(空はからりと晴れ渡り、心地よい風が吹き、穏やかでなごやかな気分になる)
『玉台新詠』の「春歌」
梅と蘭の対句
梅花の歌は中国古典へのオマージュ
梅花の歌は万葉集を典拠にしていると言って良いのか?的な論争が巻き上がっておりましたね。
帰田賦なんて字面がモロだし。
でも、やはり万葉集でええんちゃうん?
というのが私の率直な気持ちです。
この時代、文選や蘭亭序、その他中国の古典は知識人の教養の一つであり、影響は絶大だと思われます。
それらに敬意を込めて、この梅花の歌の序文を書いたとしても不思議ではありません。
そこで一介の書道のセンセとしましては、蘭亭序に触れないわけには参りません!
ということで、蘭亭序のざっくり説明とともに、オマージュポイントをまとめようと思います。
蘭亭序とは
「蘭亭」とは、紹興(上海の南に位置する都市で、魯迅生誕の地)にある庭園。
書聖と言われる「王羲之(303-361年)」は41名を蘭亭に招待し、「曲水の宴」を開きました。
ここで詠まれた37首の歌の序文として、王羲之が記した書が「蘭亭序」で、書道史上伝説的な作品です。
曲水の宴とは、水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事。引用元:Wikipedia
蘭亭序オマージュポイントその①
その曲水の宴、中国では佩蘭(フジバカマ)を使った禊の儀式として行われます。
万葉集の典拠部分に、「蘭は珮後の香を薫す」という一文があります。
梅ばかり注目されていて、誰もその後の「蘭」に触れないのが不思議なのですが、蘭亭へのオマージュポイントだと私は感じました。
蘭亭序オマージュポイントその②
序文と書き出し。
宴で詠む歌の序文という形は、蘭亭序を倣ったと思われます。
また、書き出しを見くらべると一目瞭然です。
永和九年歳在癸丑
暮春之初、會于會稽山陰之蘭亭。
永和九年、歳(とし)は癸丑(きちう)に在り。
暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。
梅花謌卅二首并序
標訓 梅花の歌三十二首、并せて序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。
序訓 天平二年正月十三日に、帥の老の宅に萃(あつ)まりて、宴會を申く。
どうでしょうか?
すんごい影響受けている感じがしませんか?
話を戻して蘭亭序ですが。
曲水の宴を開いた時に作られた詩集の序文の草稿なのです。
なぜ草稿なのか・・・。
王羲之はこの時お酒で酔っぱらった状態で書いていたと言われています。
後に清書しようとするのですが、草稿以上の出来にならなかったので草稿のまま本採用!
ってことで。
蘭亭序は、書道を習う人にとって避けては通れない行書の要所。
楷書が前術の「九成宮」なら、行書は「蘭亭序」ってくらい古典の基本中の基本。
そうか、王羲之さん酔っぱらっていたせいで、いい感じに力が抜けて大胆でのびやかな線が書けたのか・・・。
私も酔っぱらって書いてみる!!


うーん、普通やな。やっぱり王羲之さんは天才ってことで。
令和が平和で穏やかな時代になりますように。